審査員講評

渡部ギュウ氏

 

 どろぶね『宇宙船なら沈まない』

❖パニック演劇の面白さが、満載の舞台だった。

舞台には、古いタイヤ、ホール、巨大なナンバープレート、ゴミのような街路樹のような電飾付きのオブジェ。コンカフェで働く<A>と、仕事が辛く…死にたいよ…が口癖の客<B>が死体を運びながらドライブをしている。

 警官の職質を振り切り、鹿をひき逃げし、怪しいハーブ農家と出会い、妖怪やまびこ(山彦)と遭遇したり、運んでる死体はツチノコだったり、展開は面白く早い!

 このホラー・ロード・ムービーのような『パニック演劇』がたまらなく可笑しい

そして、刺激的なセリフがどんどん発語される。「ドンきすぎて意味わかんない」「何も考えなくていいのも幸せなんじゃない?」「幸せじゃない、辛くならないだけ。もっと前のめりな幸せがいい。」「私の中から私がいなくなって、残った私の中の空洞だけが生きているみたいな…」

 舞台終盤、<A>と<B>は、互いを寄り添う存在として対峙する。都市の猥雑な生活の中で戦っている<A>を<B>は太陽の様だ!という。でもそこには<A>の辛さも見える。<B>は<A>を救いたいとも思う。恒星みたいに救いたい。地球と月のような二人の関係は、微妙なバランスに変化していく。

 人間は互いの心中の真実(真理)を正確には捉えられない、だから、関係を紡ごうとする、時に『干渉』したくなるし『干渉』しすぎる。干渉から逃れたいのが若い世代の特権ではあるが、この『干渉』という言葉を肯定的に『必要』だと、作者は捉えているのかもしれない。とても印象的なコトバだった。

 都市社会から逃げ出したい。この日本という船は沈んでいく。この日本という奴隷船から、未来の船に乗り換えたい。幻想的に仮定する『宇宙船』ならばきっと沈まない。その『宇宙船』こそ演劇なんだ!と私は勝手に解釈した。

 中心二人<A/B>の掛け合いセリフに、明瞭さと身体性がほしい。そして、会話に微妙な『間』がほしい。功利主義の怪しい農家ハブ十郎と、山の神のような大らかな山彦という、二人のファンタジーキャラクターの対比がとてもよかった。

 更なるブラッシュアップを期待します。

 

 

めいメイ『まごころの洞』

❖母と子の愛をめぐる、この心象風景は…怖い!

 「わが子を愛せない。」と思う母親が、今たくさんいることは知っていた。生い立ちからくるドメスティックな連鎖なのか、男との痴情のモツレなのか、理由は様々なのだろうが、この舞台の怖さは母側の理由のわからなさだ。いやあえて書いていないのだろう。想像させたい、現象化しつつあるネグレクトの問題を広がりを持って伝えたい、という意図だ。親は子を無条件に愛する生き物であって、それは本能ともいえる。だが、この舞台に提示された母像には、どうしても愛せないという「拒絶」が貫かれている。作者は、それを「迫害」と書いている。舞台終盤には、迫害を感じているときに、人は「自己」が確立し、未来に進むことができるという「逞しさ」をも提示した。

  実際舞台には4人登場するが、中心は母Cと娘Aである。少女Bと男Dは、娘Aの分割された内的な人物であろうか。「この子の顔は、両目が…ぽっかりと暗く、暗い空洞になっている…」という示唆的なコトバが何度も繰り返される。これがとても有効的に作用したと思うし、怖い。現代に生きるたくさんの声なき声が聞こえてくる。

 そして、ラストシーンには「良い母親像は今、消えつつある。子どもたちよ、どんな親や環境で育っても前に進め!この古い時計はこれまで大人たちが動かしてきたんだけど、私たちはこの歴史を止めて、新しい時計を探しに行く!」というメッセージとして私は受け取った。幕切れが鮮烈であった。

 美術、照明、音響、演出力の高さ、そして俳優たちの細密で逞しい演技に拍手を送りたい。それぞれの心風景を抽象と具象とを織り交ぜながら、美しく表現し、観客にたくさんのことを想像させた、優れた舞台であった。

 

 

東北学院大学演劇部『ひかれ』

❖ひとりを想っちゃいけない、誰かと生きるんだ。

主人公の「志保(しほ)」は大学生、一人暮らし。舞台は彼女のアパート。大学の演劇部で台本を担当している。2週間後に本番が迫っているという設定。焦りや不安が出る志保。パソコンと簡素な座卓。

 そこに突然現れた友達の「爽日(さやか)」。舞台は、この二人の会話で進行する。

爽日はとても明るく、健康的だ。とにかく志保を励まし続ける。理想的な友達関係で微笑ましい。二人の自然で流れるような口語体の会話は、現代的で美しくリアルだ。

とても「「健康的な演劇」に好感を持てたのだが、あれ?これは俺たち親世代の勝手な若者たちへの理想像を逆手に取って、「実は、そうじゃない。私たちは小さいけどたくさんの不安を抱えているんだよ~!」というメッセージだと気づかされた。

舞台後半、爽日は、志保の夢の中に登場する「理想の友達」だということが明らかにされる。夢落ちではあるが、清々しい、いい舞台でった。窓を開けて、歌う志保の表情も素敵だった。

 最近、私は社会人となった息子と酒を呑み行く機会が増えた。仕事や家庭、子育ての悩みをよくする。苦労が多いのだろう。でも、何でも話せる人が身近にいるということは大切だ。

 『ひとりで独りを想っちゃいけないよ、誰かと生きるんだ…!』

 そんなふうにこの舞台は語り掛けた。

 

 

宮城大学 演劇集団Arco iris『21祭壇』

❖若さという旬な身体性を感じるいい舞台だった。

 人間には、21gの質量を持った【魂】がある。そう提案した医師がいた。

 もし【魂】という人間の核があったら、人工的に再現できるなら、【魂】から人間をつくれるのならば…。【魂】を探す研究者の実験記録。というのがこの舞台の設定だ。

サイエンスミステリーとして、研究室の後輩と後輩の軽妙なやり取りを繰り広げられる、まさにドタバタ喜劇だ。

 私も昨年、実父を亡くし、もし蘇るのならば…もっといろんな話をしてみたいなぁ~などと、早く【魂】が復活するシーンを観たいと大いに期待した。だが、中々実験が成功しない。芝居なんだから、ウソでいいから、早く蘇らせて~!とワクワクしながら観劇した。実験が成功するのは舞台終盤。やっと【ニイチ】なる友人が現れた。だが【ニイチ】は、この研究者を覚えていない。「経験」からくる「記憶」の再現は不可能だと語る【ニイチ】。

 ん~残念だ。芝居なんだから、成功したことにしてくれ!そして、本音で語り合う二人を観たいのに。IPS細胞からクローンを造っていても、記憶の再生は不可能なのだろうか?いや、AIを駆使して自分の記憶を保存して、クローンの脳にデータを載せ替えて…永遠の命を掴んでみたい!などと本気で考えてしまった私。

【魂】の再生について、【イタコ】ではなく、より科学的にリアルを追求した二人の俳優とスタッフにエールを贈りたい。若さという旬な身体性を感じるいい舞台だった。

 

 

宮城学院女子大学演劇部『青い夏』

 ❖ 「夏季休暇法」が発令された。まるで「赤紙」のように。

 この法案は、選挙権並びに定職をもった成人すべてに、義務づける法律。かつてバイト仲間(先輩と後輩)だった二人の女性が見知らぬ田舎についたところから舞台は始まる。とても静かな寒村についた二人は、川のせせらぎ、鳥や虫の声に、永遠の夏休みのような感覚と豊かな感情を取り戻す。そして、一人の老婆と出会う。老婆は先に亡くなった娘の墓を守っている。そのお墓に、二人は自分たちの母の存在を感じる。懐かしい記憶の家族でもあり、新たな家族の出発のような優しい時間の中、舞台は幕を閉じた。とても癒された。音響ではあるが、舞台からは確かに、日本の原風景が感じられた。大震災から13年、今年の能登の大地震や洪水被害で苦しんでいる多くの人へ届けたい舞台だった。赤紙が「死」という天国への切符ならば、これは「生」という楽園への「青紙」切符に違いない。日々の生活の喧騒から解放してくれる「休暇法」がもし誕生するならば地域通貨とかが必要で、働き方改革とか、労働基準法見直しとか、、労災とか、ふるさと納税とか、トラベルクーポンとか、色々見直しが必要だな。と真剣に考えて観てしまった私。コロナ下でやっていた政策を、通常下でも可能なのかもしれないゾ、工夫さえすれば。と国づくりにまで思いを寄せるいい機会となった。とても丁寧に、静かな時間をつくりあげて、静かなメッセージを受け取りました。